創業ストーリー
アニメという魔法で、想いの連鎖を未来へ繋ぐ。
「志茂村よ!このAI動画制作を通して多くの笑顔を作りなさい!」
今の私は社史アニメ動画制作の枠を超えて、自分史や故人史、ブライダルや短編映画制作まで視野に入れて、この命を捧げたいと考えております。
両親から受け継いだ「優しさ」と笑顔あふれる家庭
私は1962年8月30日に東京の下町である深川で生まれました。私の両親は厳しいながらも私を本当に優しく育ててくれました。貧乏ではありましたが、そんなことを微塵も見せず、いつも笑顔あふれる家庭だったと覚えています。私に優しさがあるとしたのなら、それは私の両親から受け継いだものだと確信しています。
小学校・中学校・高校・大学と両親は何不自由なく私を育ててくれました。今から思えばそれがどんなに大変なことなのか、親となり、またジイジとなり改めて感謝の意を感じずにはいられません。私の両親はもう他界しており、この感謝を直接伝えることは出来ませんが、そんな感謝を今は妻や娘、また孫たちに伝えています。
波瀾万丈な社会人人生と家族の支え
思えば私の社会人人生は本当に波瀾万丈なものでした。傘職人という不安定な仕事をしていた父親から見たら、安定した公務員になることを熱望しておりましたが、私は何の根拠もない自信から人に使われることを嫌い、転職の繰り返し、また無謀な起業など失敗の連続でした。でもそんな私を両親や妻は温かく見守ってきてくれたことは嬉しかったです。
40歳を過ぎるまで、私は自分の夢を追いかけては失敗し、家族にも迷惑をかけてきました。しかしさすがにこんな私も会社員としていわゆる「束縛」とういう環境に就かざるを得なかったのです。それが20年近く続いた前会社でした。
斜陽産業での葛藤と「思い出」への着想
その会社の業務は「データ入力」・・・そうWEBやAIが当たり前になった現在では完全な斜陽業務です。私は入社してすぐに、この業界の限界を感じておりましたが、いくら言っても聞かない役員に、私も従わざるを得なかったのは後悔ですね。でも私の思った通り、業務は衰退していきました。
賞与のカットなど、何か手を打たなければ倒産も時間の問題です。役員もさすがに焦りを感じ新規事業を模索し始めました。お金はないが、必ず成功するビジネス。そんな事業はあるわけもなく、真剣に新規事業を模索していました。
ある日、テレビを見ていたら「買取屋」が異常に増えてることに気がつき、「何か売るものはないか?」と自問自答して「人の思い出を売れないか?」と考えるようになりました。これが「社史のアニメ動画制作事業」へと繋がった経緯です。
63歳の覚悟と天国の両親がくれたチャンス
しかし、当時の会社が向かう方向性と、私の「人の想いを形にして届けたい」という強い信念との間には、どうしても埋められない溝がありました。結果として、私は長年勤めた会社を離れる決断をすることになります。
「ならば、自分自身の手でこの想いを実現しよう!」と63歳にして、新たな挑戦の一歩を踏み出しました。今から思えば、安定という囲いの中から抜け出せなかった私の背中を、天国の両親が押してくれたのだと感じています。それが、この「ペイフォワード」誕生の瞬間でした。
天命に従い、想いをリレーする
もちろん簡単なことではありません。でも不思議なことに、AI動画制作のプロフェッショナルとの出会いがあり、今こうして活動出来ているのは、「志茂村よ!このAI動画制作を通して多くの笑顔を作りなさい!」というお告げだったと感じています。
今の私は社史アニメ動画制作の枠を超えて、自分史や故人史、ブライダルや短編映画制作まで視野に入れて、この命を捧げたいと考えております。